異種格闘技戦・最強王者

不毛な雑談のネタとして知られる「最強動物は何か?」という論戦。
日本中の、いや世界中の酒場で毎晩のように繰り広げられている。
私は長らく地上最強の動物はキリンに違いないと主張してきた。

しかし何と言ってもトラ派、ライオン派、ゾウ派が根強い多数派であり、
昨今はゴリラ派やカバ派、ワニ派も一大勢力に躍り出てきているようだ。

そんな中、キリン派の私はいつも孤軍奮闘の末、
賛同者を一人も増やすことができず口惜しい思いを募らせている。

キリンキック炸裂!!

 

キリンがキック一発でライオンをKOした映像や、
長い首をブンブン振りまくってお互いに強烈な頭突きをお見舞いする、
キリン同士の決闘シーンなどが目に焼き付いて離れない私は、
今後もキリン派としてキリン最強論者であり続けようと思っている。

が、しかしだ。ここで言う「最強動物=キリン」説は、
その闘いが無差別級の場合に限定されていることに気付かねばならない。

つまりそれは、動物たちが実在する自らの肉体を駆使して闘った場合の話なのだ。
ゾウやキリンはとてつもなく大きく、ハツカネズミはとっても小さいという、
実際の身体つまり本来の体格でぶつかり合った時の闘いというわけだ。

この無差別級において、私は最強動物としてキリンを推しているのだが、
無差別級以外にも、当然のことながら闘いのステージは用意されている。

それが契約体重制である。全選手を仮に100Kgに設定した上で、
その闘いを想像してみるという、なかなかに面白いステージである。
大体100Kgというと、人間のプロレスラー程度であるから想像にも少しリアリティが増すというものだ。

このステージになるとキリンは分が悪い。100Kgのキリンとなると、
おそらくその身長は、ジャイアント馬場程度かと思われる。
それでは無差別級時代のキック力も頭突き力も影を潜めてしまう。

無差別級ではその大きさにものを言わせていたゾウも、
みんな揃って赤ちゃんゾウのサイズになってしまい、パオパオと吠えてみても可愛らしいだけである。

大きさという最大の武器を取り上げられたキリンやゾウは、
契約体重制を生き残ることはできない。彼らは無差別級のスペシャリストなのだ。

さて、このステージになって俄然その存在感を誇示する一団がいる。
そう、皆さんもお察しの通りここでは虫たちがむやみに強い。
その中でもカブトムシの強さには凄味すら感じる。
体重100Kgのカブトムシ。小さめの自動車ほどの体躯になるだろう。

えっ!これぐらいの体躯からあの力強い角が突き出ているのか!?

 

自分の何十倍もの重さを平気で動かすカブトムシのことだ、
森でクワガタをヒョイっと何メートルも先にブン投げるカブトムシのことだ、
対戦相手は組み合った瞬間、小型車の頭から伸びるあの太い松の木に身体を捕られ、
いとも容易く50m先まで放り投げられてしまうのだ。
アァーーーッ!という断末魔の叫び声も一瞬にしてかき消される始末であろう。
もうそれで終わりだ。だれも敵わない。絶対王者の誕生である。

見よ!このパワーみなぎる王者の風格

 

まとめよう。私の考える世界最強動物・無差別級王者はキリン。
契約体重100Kg級王者はカブトムシとさせてもらう。
特にカブトムシは今のところ敵が見当たらない状態であり、
誰がカブトムシの独走を止めるのか、それこそが異種格闘技界最大の話題である。

さて、皆さんもジメジメと寝苦しい夜は異種格闘技戦の各階級王者を考えてみることをお勧めする。
意外とスッと眠りにつけそうである。
最後に、契約体重10Kg級団体戦王者は軍隊アリだと私は信じて疑わないのだ。

次元を考えてみる(特に四次元)

建築家の仕事に「図面を描く」という作業がある。
平面図・立面図・断面図に始まり、非常に多くの「図面を描く」

これは、頭の中の建築物を様々な“切り口”から観察し、紙に写し取る作業である。
いわば、3次元の立体物を2次元化する作業である。

その後建築家は、この2次元の建築物が正しく3次元化されるまでを見届ける。
これが「監理する」という作業である。

このように、建築家は否応無く「次元を行き来する」のである。
自らを気取って「次元の旅人」と呼んでいる人がいるかもしれない。

しかし、今日の話はそんな気取った旅人のことではない。
2次元・3次元の話ではない。話は四次元についてである。

3次元に時間軸が加わったとされる「四次元」
ブラックホールに吸い込まれた先に広がるとされる「四次元」
ドラえもんのお腹にその口を開いている「四次元」

四次元は、少年期の私に憧れと恐れと現実の苦さを教えてくれた。
SF話の中で、四次元は多くのワクワクとドキドキを与えてくれた。
が、現実世界で四次元は多くの「?」を残した。

あの頃、プロレスが大好きだった私たちの前に初代タイガーマスクが現れた。
今まで見たこともない華麗な技が凄いスピードで繰り出された。
超人的身体能力でリング狭しと跳び回り、リング外にまで高く鋭く飛んでいった。
全国の少年が大いに熱狂した。私たちはテレビの前で興奮のあまり我を忘れた。実況の古館アナも半狂乱の様子だった。「出たぁ!タイガーの四次元殺法だぁ!」「飛んだぁ!四次元殺法だぁ!」

いや、3次元である。それは見事なまでの3次元である。縦・横・高さを自在に駆使した華麗な3次元だった。四次元ではなく3次元。「四次元」は階段を一段降りた。

とにかくよく動くから四次元なのかなぁ

 

あの頃、兄が私を大声で呼んだ。
「幸宏、四次元や!四次元や!」私は駆け寄って兄を見た。
兄は母の鏡台の前に座り、三面鏡の左右を少し閉じ、そこに自分の顔を挟んでいた。
鏡の中では、兄の顔が無数に広がっていた。「お前も、四次元行ってこいや!」と興奮した兄が、私に場所を譲ってくれた。「うわぁ、兄ちゃん、めっちゃ四次元やん!」「なぁ、四次元やろ!」その後兄弟は、代わる代わる顔を挟んでいた。

‥‥3次元である。いや、この場合は2次元である。無数の顔が鏡に映ったという、大量の2次元だった。四次元ではなく2次元。「四次元」は階段を二段降りた。

ドラゴンはどの次元においてもヒーローである

 

こんなに美しい鏡の世界も2次元でしかない

 

「四次元」は私の前に姿を現すことは無かったし、今後も無いだろう。
私の「次元の旅」は2と3の間で充分である。
なぜならこの旅は、なかなかに困難でそれでいてとても楽しいものだからだ。

土曜の夜10時は渋い大人の時間

もう何十年も前の不確かな記憶ではあるが、その昔土曜の夜は充実していた。
なにせ全国的に「8時だヨ!」と「ひょうきん族」が張り合っていた。
関西では既に7時半から「クイズダービー」と「部長刑事」がしのぎを削っていた。

9時、ここが分水嶺。「ゴールデン洋画」「土曜ワイド」で11時まで一気に走ることもできたし、「Gメン」に熱狂することもできた。私はといえば非常に日和見的で「洋画」と「土ワイ」のタイトルに左右されていた。「天知の明智小五郎」「藤田の音川音次郎」にはめっぽう弱く、「土ワイ」の軍門に下ることも多かった。

天知茂+明智小五郎=天知小五郎

しかし基本線は違った。次の10時に備えて「Gメン」もしくは風呂を選択した。10時、そこには「明智や音川」に肩を並べる良質のビッグコンテンツが堂々と横たわっていた。

その番組、それこそが昭和を代表する最強低俗番組「テレビ三面記事 ウィークエンダー」に他ならない。

とにかく扱うヤマの殆どがB級。のぞきや下着泥棒といった出歯亀系はもちろん、食い逃げ、コソ泥、寸借詐欺、果てはサファリパークのライオンが絶倫過ぎて困るといった話題まで、事の顛末をレポーターという名の講談師たちが、数枚の写真パネルを使って丁寧に面白おかしく紹介してくれた。

トップバッター桂朝丸の迫力ある話術

パネルに写った事件関係者の目の周りには、一様に焼海苔のような黒い目隠しが施され、この時代としては精一杯のプライバシー保護を考慮してますよ風を吹かしていた。
ちなみに前述した絶倫のオスライオンの写真の目にも焼海苔が貼られており、これには子供心に大人の悪ふざけを感じたものであった。

そんなウィークエンダー、番組内容もさることながら、司会の加藤芳郎の後ろにずっと映っていた番組ロゴマークが渋かった。煙草をはさんだ指がテクテク歩いているそのデザインには、加藤芳郎の風貌と相俟って、子供心に大人のかっこ良さを感じたものであった。

で、あのかっこ良いロゴへのオマージュを込めて今回「猫と建築社」でTシャツを作ってみました。「猫と建築社」なので、猫に寄ったデザインと建築に寄ったデザインの2種類をご用意いたしました。

ご興味をお持ちの方は、是非とも下記の「猫と建築社のお店」のホームページまでお越し下さいませ。というわけだ!(桂 朝丸)

https://nekokenshop.thebase.in/

来週こそ良い週でありますように。

スーパーの友達

スーパーの日配食品コーナーには私の友達がいる。
それはコーナーの主のように振舞っている豆腐や納豆ではない。
また、各メーカーが趣向を凝らした生ラーメンパックやうどん玉でもない。

それは豆類(パックの煮豆)であり、練り物たちである。
もっと詳しく言えば、フジッコのお豆さんたちであり、夕月かまぼこである。
特に私は黒豆さんが大好きで、普段からよく買っては食べている。

平時において黒豆さんはさほど人気を博してはおらず、少し寂しげな様子を見せている。
何せ黒くて地味な彼らは、どうしても弟分のこんぶ豆やひじき豆の後塵を拝している。
私とてそれら弟分に手を伸ばすときもあるにはある。
しかしそんな時も、黒豆さんとの長い付き合いと友情の固さにより、兄弟いっしょにかごに入れるのが常である。

このように私は黒豆さんとの義理は果たしているつもりだし、
黒豆さんも変わらぬ味と求めやすい価格で私との友情に応えてくれている。
もうかれこれ何十年もこの関係は続いている。

が、しかしである。毎年この時期になるとこの固い友情に翳りが見られる。

年末のスーパーにおいて、私の友達はいつもの地味な装いをかなぐり捨て、
紅白に彩られた陳列棚にちょこんと上品に座っている。
おせちに欠かせない一品である黒豆さんは、この時期凄まじい人気者になる。
人気に伴いその価格も普段の数倍に跳ね上がる。これを唱えて「ザ・正月価格」。

私が前を通ってもいつものように声をかけてはくれない。
裕福な奥様たちにチヤホヤされて黒豆さんは我が世の春を謳歌しているようである。
黒豆さんと私の平時の付き合いからして、こんな他人行儀な価格は出せない。
私は日配食品コーナーに背を向け、別の売り場に歩を進める。

「意外に脆いわれらの友情よ」と嘆きつつ、
私は鮮魚売り場や精肉売り場の「ザ・正月価格」に浮かれ気分で財布の紐を緩めてみたりする。
そんな時、背後から少し鋭い視線を感じ、クルッと振り返ってみるのだが、
そこには、先ほどよりさらに賑やかになった紅白の日配食品コーナーがあるだけだった。

年明け。毎年七草粥のころには私たちの友情は何事も無かったかのように修復されている。
骨折した箇所が前より硬くなるように、私と黒豆さんの関係も年々強固なものになっているようである。

今年ももう終わり。友よ、来年もよろしくお願いしますね。

基本的に缶コーヒー

話は缶コーヒーのことである。
私は缶コーヒーに弱い。飲むと十中八九胃もたれに陥る。
缶コーヒー以外のコーヒーは大丈夫なのだが、缶コーヒーには相性が悪い。
メーカー、糖度、温度問わず胃がもたれる。
もちろん自分で買うことはない。

しかし私は頻繁に缶コーヒーを飲むのである。
メーカー、糖度、温度問わず飲むのである。
もちろん自分で買ったのではない。

工事中の現場には、昼休み以外に10時と15時に2回の小休止が存在する。
その時間に我々設計者が現場にいた場合、監督さんが職人さんや我々に飲み物の差入れをしてくれる場合がある。その飲み物がほぼ100%缶コーヒーなのである。

職人さんは缶コーヒーが好きである。大好物である。特に無糖。
夏は渇いたノドを潤し、冬は冷え切った身体を温める。
再開した仕事が大いに捗っている。

私は差し出された缶コーヒーを手に取って少し困ってしまう。
夏は首筋に当てて涼をとり、冬はカイロ代わりに握りしめる。
しかし、いつまでもそうもしてられないので飲んでみる。
大体20分もすれば胃がもたれてくる。
後々の仕事の効率が少し落ちる時もある。

dobuduke

現場ではいわゆるドブ漬けの状態が多い

そんな私は、職人さんへの差入れを自分で買うこともある。
むしろ積極的にそうしようと心掛けている。
当然自分の飲み物はお茶類にして危険を回避する。
さらに自分と同じ悩みの職人さんがいるかもしれないと思い、
お茶類を2~3本混在させておく。

小休止後、職人さんが仕事に取り掛かった時、
ほぼそこには2~3本のお茶類が残っている。

職人さんの大好物は缶コーヒーである。特に無糖。

凄い工芸品

昨日サントリー美術館で開催中の宮川香山展に行ってきました。
「精緻を極めた芸術作品とはこのことだ」と呆気にとられました。
人間の『熱』を否応なく発散する作品群に感動いたしました。

ド素人の私が何か偉そうに説明するべきではないし、
21世紀になって10数年経った今、宮川香山についてわざわざ図書館に行かなくても、指先一つで調べは尽きます。興味のある方はどうぞよろしくお願いします。

kani
高浮彫蟹花瓶の迫力

ところで、最近美術展に行くと“なんちゃって学芸員”さんの解説の声が多くて困ります。
同行者に対していろいろと説明しているようですが、その声が大きくて雑音になってます。
作品の前に書かれている内容を早く読み終えて、それを喋りまくるという古典的な“なんちゃって学芸員”に加え、それこそ指先一つで成り上がった“なんちゃってウィキ学芸員”も増加中です。
さらには昨日のような工芸品、特に焼物ともなると自称蒐集家やカルチャーセンターの陶芸教室で鍛えられた自称陶芸家がわんさと押し寄せて百家争鳴の趣でした。

そういう方と巡りあわせで隣り合ったまま鑑賞するとこれはもう辛い。
一旦コースから離れて、一人で来ている方の後ろを狙ってコースに再入場します。
昨日も私の前後への再入場者が続いたのは、同じ悩みの人が案外多いということかもしれません。
音声解説サービスを有料レンタルするべきだったなと思う瞬間が何度もありました。

しかしそんなこととは無関係に展示作品は本当に圧巻の迫力です。
こんなに素晴らしいものが残っていることが嬉しくなる週末でした。

球春に思う

本日はプロ野球の開幕だそうで、野球ファンは大騒ぎである。
しかし私は、あまりワクワクした気分にはならない。

別に野球が嫌いではないし、野球音痴ということもないが、
ここ10年以上プロ野球を観に行っていない。

子供の頃は、地元阪急ブレーブスの大ファンだったから、
近くの阪急西宮球場によく試合を観に行った。
強いブレーブスに大いに熱狂していたことが思い出される。

実際に野球をプレーした経験も子供の頃でストップしている。
大人になってからは草野球チームに所属したこともなく、
ごくたまにテレビゲームの野球をした程度である。

全くもって野球ファンとは言い難い私であるが、
メジャーリーグも含めて何故か野球は嫌いではない。

昔は芸能人野球大会などという、今考えれば
何がどう面白いのか分からないようなテレビ番組まで見ていた。

ちっとも面白くない番組ではあったが、
毎回毎回ある同じシーンが、飽きもせず繰り返されるのを楽しみにしていた。
私はそのお馴染みの一場面見たさに、つまらない番組を我慢して見ていた。

そして4回裏1アウトランナー無し、ついにその場面が始まった。
主役はマチャアキと井上順である。
ピッチャーのマチャアキがバッターの順にわざとボールをぶつける。

怒る順がバットとヘルメットを投げ捨て、
鬼の形相でマウンドに近づいていく。

迎えるマチャアキもグローブを叩きつけ、
ケンカ腰で順に向かって、憎たらしい態度でマウンドを降りる。
乱闘寸前、一触即発のムードが高まりチームメートも心配する。

ホームベースとマウンドの中間地点で、ついに二人が対峙したその瞬間、
二人は手と手を取り合い、社交ダンスを狂ったように踊る。
両軍ベンチで笑いながらズッコケてみせる芸能人の群れ。

もう、毎年毎年これである。
去年は順がピッチャーで、マチャアキがバッターではあったが、
それ以外は寸分変わらない、正に偉大なる茶番が展開されるのだ。
これを見ずに風呂になど入ってられるものかと私はいきり立っていた。

最強コンビの若かりし頃

さて、野球の季節ではあるが、今や野球ファンとは言えない私は、
さほど高揚しない。でも、今年は1回ぐらい球場に行きたいものだ。
社交ダンスは見れなくて良いが、いい試合は是非とも観たい

生き物たち

暖かくなってきて思い出だすことがある。
一昨年のこの時期、むし暑く感じたある雨の日のこと、
雨上がりの夜道で何か柔らかいものを踏んでしまった。

犬糞ではあるまいか?!と一瞬ヒヤリとしたがそうではなかった。
それは握りこぶし大のカエルだった。

幸い私の反射反応が早かったのか、カエルにはさほど体重が乗らなかったとみえ、
無言のままではあったが彼はノソノソと道路脇の雑草に姿を消した。

さて残された私の方は非常に気持ちの悪い感覚に苛まれていた。
足の感触もさることながら、カエルの姿自体を気持ち悪く感じてしまっていたのだ。

その湿った雑草の中にはカエルのみならず、当然ヘビやトカゲもいるだろう。
当たり前のその事実が凄く怖くなってしまい、ブルブルっと震えが出るほどであった。

気を取り直して歩き始め、ふと下を向くと雨に濡れた路面をミミズが這っていた。
ことここに至るとミミズの動きすら堪らなく気持ち悪く、ちょっとした恐怖すら感じてしまった。

私の場合、年々こうなっていく。
こうなっていくというのはつまり、動物を怖がってしまうということである。

子供の頃はこんな事はなかった。
カエルを握りしめて遊び回っていたし、イモリやヤモリも平気で捕まえた。
田舎育ちというわけではないが、家の周りにはまだ田んぼや畑がたくさんあった。

学校帰りに用水路の脇にアオダイショウがのたうちまわっていた日には、
素手で掴んでブンブン振り回していた。今考えるとちょっとした虐待にも感じられ、それはそれで反省すべきな程だった。

釣りに行けばミミズもゴカイも指でちぎった。
ハトもニワトリもカラスも何も怖くなかったから、追っかけ回して真似をした。
近所の河原に生息していた野良犬どもと堂々と喧嘩もしていた。

しかし今は全く駄目だ。カエルも虫も触ることすら出来ない。
ヘビだのトカゲだのに至っては、動物園の爬虫類館に入場することも憚られる始末だ。
カラスをはじめ鳥たちとの距離もかなり遠くなった。真似して遊ぶ気にもなれない。

このように、大人になり生き物たちと何となく疎遠になってしまった私ではあるが、
ただ1種類だけ、この流れに逆行する動物がいる。それが猫である。

猫は子ども時代の私にとって唯一の怖い動物であった。
近所の飼い猫も野良猫も触ることが出来なかった。友達が可愛がっていても私はそれを遠くから眺めていた。猫の目が薄気味悪く感じたし、猫嫌いの母から化け猫伝説を刷り込まれたこともあり猫には滅法弱かった。

ところがそんな私は今現在猫を飼っている。猫を可愛がっている。
猫と一緒に楽しく暮らすためにどういう空間が良いかを考えている。
猫の面白おかしい動きを少し研究して、建築家として何か出来ないかと模索している。

その結果、猫と建築のあるべき姿を多くの人と考え共有しようと、
「猫と建築社」なるヒネリのない名前のプロジェクトを立ち上げてみた。
まだまだ発展途上だが、猫に興味のある方はホームページをのぞいてみて欲しい。

さて今後も私と多くの生き物との距離はますます広がっていくのだろうが、
猫と犬だけは私のそばから離れないでいて欲しいと切に願うものである。