スーパーの友達

スーパーの日配食品コーナーには私の友達がいる。
それはコーナーの主のように振舞っている豆腐や納豆ではない。
また、各メーカーが趣向を凝らした生ラーメンパックやうどん玉でもない。

それは豆類(パックの煮豆)であり、練り物たちである。
もっと詳しく言えば、フジッコのお豆さんたちであり、夕月かまぼこである。
特に私は黒豆さんが大好きで、普段からよく買っては食べている。

平時において黒豆さんはさほど人気を博してはおらず、少し寂しげな様子を見せている。
何せ黒くて地味な彼らは、どうしても弟分のこんぶ豆やひじき豆の後塵を拝している。
私とてそれら弟分に手を伸ばすときもあるにはある。
しかしそんな時も、黒豆さんとの長い付き合いと友情の固さにより、兄弟いっしょにかごに入れるのが常である。

このように私は黒豆さんとの義理は果たしているつもりだし、
黒豆さんも変わらぬ味と求めやすい価格で私との友情に応えてくれている。
もうかれこれ何十年もこの関係は続いている。

が、しかしである。毎年この時期になるとこの固い友情に翳りが見られる。

年末のスーパーにおいて、私の友達はいつもの地味な装いをかなぐり捨て、
紅白に彩られた陳列棚にちょこんと上品に座っている。
おせちに欠かせない一品である黒豆さんは、この時期凄まじい人気者になる。
人気に伴いその価格も普段の数倍に跳ね上がる。これを唱えて「ザ・正月価格」。

私が前を通ってもいつものように声をかけてはくれない。
裕福な奥様たちにチヤホヤされて黒豆さんは我が世の春を謳歌しているようである。
黒豆さんと私の平時の付き合いからして、こんな他人行儀な価格は出せない。
私は日配食品コーナーに背を向け、別の売り場に歩を進める。

「意外に脆いわれらの友情よ」と嘆きつつ、
私は鮮魚売り場や精肉売り場の「ザ・正月価格」に浮かれ気分で財布の紐を緩めてみたりする。
そんな時、背後から少し鋭い視線を感じ、クルッと振り返ってみるのだが、
そこには、先ほどよりさらに賑やかになった紅白の日配食品コーナーがあるだけだった。

年明け。毎年七草粥のころには私たちの友情は何事も無かったかのように修復されている。
骨折した箇所が前より硬くなるように、私と黒豆さんの関係も年々強固なものになっているようである。

今年ももう終わり。友よ、来年もよろしくお願いしますね。