次元を考えてみる(特に四次元)

建築家の仕事に「図面を描く」という作業がある。
平面図・立面図・断面図に始まり、非常に多くの「図面を描く」

これは、頭の中の建築物を様々な“切り口”から観察し、紙に写し取る作業である。
いわば、3次元の立体物を2次元化する作業である。

その後建築家は、この2次元の建築物が正しく3次元化されるまでを見届ける。
これが「監理する」という作業である。

このように、建築家は否応無く「次元を行き来する」のである。
自らを気取って「次元の旅人」と呼んでいる人がいるかもしれない。

しかし、今日の話はそんな気取った旅人のことではない。
2次元・3次元の話ではない。話は四次元についてである。

3次元に時間軸が加わったとされる「四次元」
ブラックホールに吸い込まれた先に広がるとされる「四次元」
ドラえもんのお腹にその口を開いている「四次元」

四次元は、少年期の私に憧れと恐れと現実の苦さを教えてくれた。
SF話の中で、四次元は多くのワクワクとドキドキを与えてくれた。
が、現実世界で四次元は多くの「?」を残した。

あの頃、プロレスが大好きだった私たちの前に初代タイガーマスクが現れた。
今まで見たこともない華麗な技が凄いスピードで繰り出された。
超人的身体能力でリング狭しと跳び回り、リング外にまで高く鋭く飛んでいった。
全国の少年が大いに熱狂した。私たちはテレビの前で興奮のあまり我を忘れた。実況の古館アナも半狂乱の様子だった。「出たぁ!タイガーの四次元殺法だぁ!」「飛んだぁ!四次元殺法だぁ!」

いや、3次元である。それは見事なまでの3次元である。縦・横・高さを自在に駆使した華麗な3次元だった。四次元ではなく3次元。「四次元」は階段を一段降りた。

とにかくよく動くから四次元なのかなぁ

 

あの頃、兄が私を大声で呼んだ。
「幸宏、四次元や!四次元や!」私は駆け寄って兄を見た。
兄は母の鏡台の前に座り、三面鏡の左右を少し閉じ、そこに自分の顔を挟んでいた。
鏡の中では、兄の顔が無数に広がっていた。「お前も、四次元行ってこいや!」と興奮した兄が、私に場所を譲ってくれた。「うわぁ、兄ちゃん、めっちゃ四次元やん!」「なぁ、四次元やろ!」その後兄弟は、代わる代わる顔を挟んでいた。

‥‥3次元である。いや、この場合は2次元である。無数の顔が鏡に映ったという、大量の2次元だった。四次元ではなく2次元。「四次元」は階段を二段降りた。

ドラゴンはどの次元においてもヒーローである

 

こんなに美しい鏡の世界も2次元でしかない

 

「四次元」は私の前に姿を現すことは無かったし、今後も無いだろう。
私の「次元の旅」は2と3の間で充分である。
なぜならこの旅は、なかなかに困難でそれでいてとても楽しいものだからだ。


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